人生きちきち

適当にいきたい

鬱ンゴ

たま~に来る、鬱の波。休職中の時より辛い気がする。

なぜ辛いのか分からないのが、更に辛い。

2000年代の、子供の頃に戻りたいと思う。

実家にいた頃、親は喧嘩が絶えなかったけど、姉達が気をきかせて色々な所に連れて行ってくれたりして、親の代わりに沢山遊んでくれた。

クリスマスの時期、父から「お父さんはサンタさんと友達だから、欲しいもの手紙に書いてごらん」と言われたので、

「お父さんとお母さんが仲良くなってほしいです」

って書いてリビングに置いていたら、翌日手紙が無くなっていた。

父は、その手紙をどんな気持ちで読んだのだろうか。

クリスマス当日は、枕元にその年発売された初代DSが置かれていた。後から聞いたところ、姉達がお金を出し合って買ってくれたらしい。

DSと一緒に、二つもソフトが置かれていたのが、とても嬉しかった。たしか、ピーチ姫が主人公のゲームと、おいでよどうぶつの森だ。

どうぶつの森は、今のあつ森みたいに自由に見た目を変えれる訳ではなく、最初のタクシー運転手との会話によって容姿が決定するので、好きな見た目にしたくて、何回もタクシーの画面を繰り返した。タクシー運転手のかっぺいは、結構毒を吐くキャラだったが、今どきのゲームにないあの感じが、良かった。

DSと面白いゲームをサンタさんから貰った(と思い込んでいた)ので、姉達に見せると、みんな「凄いね!」「よかったね!」と言ってくれた。

これも後から聞いた話だが、姉たちが子供の頃、プレゼントは親から普通に渡されていたらしい。私のために、サンタさんを信じさせてあげようとしたと、母から聞いた。

数年後、ネット環境が無かった我が家に、姉がパソコンを持って実家に帰ってきた。

姉から『「ようつべ」って検索すると面白いよ』って言われたのを、今でも覚えている。当時はYouTubeが流行り始めたぐらいだったので、ドキドキしながら初代マリオが1-1を進むだけの動画を見て、おもしろがっていた。

あと、姉からは「有料かも」と言われていたニコニコ動画をこっそり視聴したのも、あの頃だ。hacchiさんの実況とか、ポーション作ってみた系の動画が面白く、声を殺して笑っていた。リコーダーを一瞬吹いただけでも父に「うるさい」と怒鳴られていたので、大声を出さないように、笑った。

その頃ぐらいか、姉に「大きくなったら一緒に住もうね」と言われていた。私は、その当時は「えーどうしようかなー」とか言っていた気がする。これも後で聞いた話だが、姉は狂った父から私を守ろうとしてくれていたらしい。

現在、両親は離婚し、姉と私は同居していない。今はもう、当時の姉の歳を追い越しそうな歳になってきた。思い返せば、ただただ姉の優しさを感じるばかりである。

しかし、姉に恩返しをする事は出来なくなってしまった。

ここの詳細は書いてて悲しくなるのでやめた。

とりあえず、昔は自分も人並みに社会の歯車的な人間になりたいと思っていたが、最近なんだか迷走している。上司のパワハラで病んで、職場に迷惑をかけ、その後は部署異動して定時に帰るようになった。定時に帰っている、という罪悪感から、なぜか到底間に合わないであろう全然仕事に関係ない資格の勉強をしている。

育った環境上、明るい話題を見たり聞いたりする事が辛い。その為、暗いニュースとかを見ることになるのだが、最近暗いニュースが多すぎる。もう何も見ずに、ようつべでシティポップとかを聞いて、鬱に浸っている時間が一番良いのかな、と思う。

子供の頃、趣味なんて作れる環境ではなかったので、趣味もない。ただ、これからの人生も時間が過ぎるのを待つばかりだと思うと、悲しい。

今の時代は、TwitterとかInstagramですぐ情報が出回るし、大変便利な世の中だとは思うが、平成の、ガラケーでちょっと不便だった頃に戻りたい。

ドラえもんクレしん、Mステの流れでテレビを見たい。

ピラメキーノの、Onaraはずかしくないよの歌詞を何故か書き起こしてた頃に戻りたい。

おい森WiFi通信をやりたい。

英語とか書いてるシャツを適当に来てた小学生時代に戻って、姉に感謝を伝えたい。

 

鬱ンゴ。とりあえず趣味が欲しいな。40年ぐらい続くやつ。